東日本大震災の日が近づくと毎年必ず目を通すエッセーがあります。
引用:内館牧子「暖簾にひじ鉄」連載516、『週刊朝日』、2011年12月13日号、42頁
『 選考員として読んだ後で、しばし声もなかった。
それは、秋田市のノースアジア大学(旧・秋田経法大学)が主催する「第4回ノースアジア大学文学賞」における大学生・一般部門エッセイの部に寄せられた応募作である。書かれたのは、大阪府の早瀬巌さんとおっしゃる40代男性で、11月に最優秀賞を受けた。
エッセイによると、早瀬さんは早くから、東日本大震災の被災地・宮城県石巻市で救援活動を行っていた。当たり前の日常を突然奪われ、家族を失った人々。体育館に搬送される遺体の数の多さに、早瀬さんは「これだけの遺体の数だけ遺族が残された」と書く。
遺体に向かって泣き叫び、父や母や子の名前を呼ぶ切なさに耐えきれず、救援活動を放り出したくなったという。だが、早瀬さんが東北に向かう朝、子供達が、「お父さん、東北の人を助けてあげてね!」と言った言葉が甦った。
そんな時、海岸から50メートルほど離れたガレキの中で、男児の遺体を見つけた。5歳ぐらいで、あどけない赤い唇が一文字に結ばれていた。ドラえもんの絵がついた緑色のジャンパーを着ていた男児に、早瀬さんは「苦しかったね。家族のところに帰ろうね」とつぶやき、泥のついた顔をタオルで拭った。
すると、道路の側溝に、若い女性の遺体があった。彼女は男児と同じドラえもんの絵がついたトレーナーを着ていた。男児と同じ緑色だった。救援活動を見守っていた中年女性が、近所に住む母と子であることを確認したという。
早瀬さんはその時、抱きあげた男児の遺体から赤い紐が出ていることに気づいた。ジャンパーを脱がせてみると、赤い抱っこ紐で男児の背中に何かがくくりつけてある。見ると、500ミリリットルの空のペットボトルだった。早瀬さんは次のように書く。
「瞬時にその意味を悟った私の両眼から涙が溢れ出た。あの巨大な津波に襲われ、若い母親は子供を背負って夢中で高台の方向へ逃げたのだ。しかし背後からは津波が迫ってくる。咄嗟に母親は抱っこ紐をを外した。我が子の背中に空のペットボトルを括りつけたのだ。ペットボトルの浮力で何とか助かってほしい。その一心だったのだろう。抱っこ紐はペットボトルのネックの部分に固く括られていた。男の手でも解こうとして解けないその固さは、母親の生命を超越した子供への愛と同じだ。」(原文ママ)
早瀬さんたちは、泣きながら祈った。二人の棺を寄り添わせて並べ、「もう決して離れることはありませんよ」と。
エッセイには、ペットボトルの母子のことを語り継いでいくことが「人間としての使命」と書かれていた。』
何回読んでもその都度胸が苦しくなります。
また、当時読んだ片田敏孝氏の「人が死なない防災」(集英社新書/2012.3)のタイトルの重さを改めて考えさせられました。
この記事のトップのイラストは、空の上にいる今の母子をイメージしてフリー素材から選んだものです。
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