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洋画の字幕版と吹き替え版
あなたは外国映画を観るとき字幕版を観ますか?それとも吹き替え版ですか?
私は中学の時からずっと字幕派でした。俳優の生の声を聞けるのと外国語を聞くこと自体がかっこいいと思っていたのかもしれません(笑)
私の妻は吹き替え派です。画面から目を離してちょっと別のことをしても話の展開がわからなくならないからだそうです。
どっちが多いかネットで調べてみました。字幕派の方が多いようですね。
字幕派の一番の理由はやはり俳優の生の声が聞きたいということのようです。一方吹き替え派は、字幕版だと字幕にばかり気を取られ映像をしっかり見れないという理由が多いようです。
最近の傾向としては、吹き替えを求める客が増えてきており、吹き替え版のある映画の配給件数が増加傾向にあります。吹き替え版は以前はファミリー映画が中心だったのに対し、最近は一般の映画でも吹き替え版の配給が増えているようです。
その最も大きな理由は、発信できる情報量の違いにあります。吹き替え版であればセリフの9割以上を伝えられるのに対し、字幕版はせいぜい3割ぐらいと言われています。
字幕は1画面に書ける文字数に限度があり、横字幕の場合、制作会社によって異なるようですが1画面は1行当たり13~14字で2行まで、なので1画面では26~28字までが原則のようです。
そりゃそうですよね!字数が多すぎて画面が見えなくなっても困りますし(笑)、それよりも何よりも、映像の時間が通常どおり流れていく中で喋っている言葉を全部文字にして読むなんていうのはどだい無理ですよね。
映画の字幕を作る翻訳家にとって、喋っている言葉の3割程度の分量で映画の内容をしっかり伝えるというのは大変な苦労でしょうし、そこがまた翻訳家の実力ということになるのかもしれません。
こうした最近の傾向は、この記事を書くにあたってネットで調べて知ったことですが、実は数年前から私はある外国映画をきっかけに、字幕派から吹き替え派に転向しました。
もちろん字幕版しかない映画は仕方ありませんし、テレビ放映の場合は選択の余地はありませんが、そうでない場合は吹き替え版を観るようになりました。
その理由はやはり吹き替え版に比べ字幕版の情報量が圧倒的に少なく、場合によっては原作の趣旨や意図が伝わっていない場面があることに気づいたからです。
そのきっかけとなった映画とは、アメリカ映画の「恋愛小説家」です。
アメリカ映画「恋愛小説家」(ジャックニコルソン)《ネタばれ注意》
「恋愛小説家」(れんあいしょうせつか)は1997年製作のアメリカ映画です。ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントがともにアカデミー主演男優賞と主演女優賞をダブル受賞しました。
ストーリーは、毒舌で人から嫌われているが根は親切な恋愛小説の人気作家(ジャック・ニコルソン)が、行きつけのレストランの子持ちの独身ウェイトレス(ヘレン・ハント)に恋をし、いろいろありながらもハッピーエンドに終わる中年の恋愛物語です。
私のとても好きな映画で、数えたことはありませんが少なくとも10回以上観ていると思います。1回見ればストーリーは把握できますが、何回観ても1つひとつのシーンに新たな発見があったりして何度でも楽しめます。まだ観たことのない方はぜひご覧になってください。
映画館で観た記憶はないのでおそらく最初に観たのはテレビの字幕版で、制作された1997年の1~2年後だったと思います。今から20年以上前になりますね。録画して何回か観たと思いますが、とても気に入った一方で、字幕のセリフの意味がわからないシーンが2~3か所ありました。
その後もテレビで何回か字幕版が放映され、2015年にもあったので録画して観ましたが、今まで見たことのないシーンがあるのに気づきました。それは、2時間のテレビ番組の放映に当たって138分ある原作を2時間(CMなどを除くと実質は1時間半ぐらい)にカット編集していますが、テレビ局によってカットするシーンが違っていたからでした。
それでたまらなく138分全部を観たくなり、2016年2月に通販でDVDを買い求めました。
DVDなので字幕でも吹き替えでも観られますが、当時はまだ字幕派を自認していた私は躊躇なく字幕版で観ました。
初めて138分を通しての鑑賞だったので、それまで見たことのないシーンも出てきて満足しましたが、一方で、20年前と同じく字幕のセリフの意味がわからないという状況は変わりませんでした。
DVDを買ってから数か月経った頃、酔っ払った勢いで「たまに吹き替え版でも観てみようか」という気分になり(笑)、初めて「恋愛小説家」の吹き替え版を観ました。
始まってから数分ぐらいですぐに気づきました。それまで字幕で10回以上観ていたのでストーリーだけでなく大まかなセリフも頭に入っていましたが、はじめて聞くセリフが次から次へと出てくるではありませんか!
そして何と、10数年来の謎だったいくつかのシーンのセリフの意味するところが「あぁ、そういう意味だったのか!」と天啓のごとく一瞬で判明したのです。
まさに長年の胸のつかえが取れた思いでした。
以下2つのシーンについてケーススタディし、字幕版と吹き替え版の違いを見ていきます。
恋愛小説家は行きつけのレストランでウェイトレスから給仕してもらうことを楽しみにしているが、ウェイトレス(母子家庭)の息子が喘息のためレストランを休みがち。
それを知った恋愛小説家は、ウェイトレスが休まずにレストランに出て来られるよう、貧乏でなかなか子供を医者にも診せられないウェイトレスのアパートに知り合いの有能な医者を派遣して子供を診察させた。
それはウェイトレスにとって思いがけずありがたいことだったが、レストランの単なるお客に過ぎない恋愛小説家がこんなに親切にしてくれるのは自分に対し下心があるからだと思い、雨の降っている夜中に恋愛小説家の住むマンションを訪ね、部屋のドアを開けた恋愛小説家に対し次のように言う。
字幕版(原文のまま)
ウェイトレス:あなたとは寝ないわよ。何があっても寝ないわ!絶対に!
恋愛小説家:せっかくだが、そういうお客は夜間はお断りだ
ウェイトレス:本気よ
皆さん、このやりとりの中で恋愛小説家が言った「そういうお客は夜間はお断りだ」をどう解釈しますか?先に進む前にぜひご自分で1分間考えてみてください。
私の解釈
観るたび引っかかっていたシーンでしたが、何度観てもストンと来る解釈は思いつきませんでした。「真夜中にわざわざこんなことを言いに来る非常識は人はお断りだ」という意味かなぁと無理やり自分を納得させていました。
吹き替え版(原文のまま)
ウェイトレス:私はあなたとは寝ないわよ。絶対に寝ない!それだけはお断り。絶対に。絶対イヤ!
恋愛小説家:いやー、申し訳ないですねぇー。うちはセックスなしのお客は夜間はお断りしているんですが
ウェイトレス:茶化さないで
吹き替え版でこれを聞いた時「あぁ、そういう意味だったのか!」と悟り、長年の疑問が一瞬で解消しました。
今でも(素人考えですが)「セックスなしのお客」「茶化さないで」を字幕版では「そういうお客」「本気よ」と翻訳したことに対しては違和感を感じています。
そして、字幕版を観た段階でこのセリフが要するに茶化した発言だということを察知した方に対しては、心から敬意を表します。
恋愛小説家の本を出版している出版社の受付嬢は恋愛小説家の大ファン。たまたま恋愛小説家に話しかける機会を得た受付嬢は恋愛小説家に対して次の質問をする。
字幕版(原文のまま)
受付嬢:女心を書く秘訣は?
恋愛小説家:簡単だよ。サイテーの男を想像する
→それを聞いた受付嬢は戸惑いの表情を浮かべる
皆さん、このやりとりの中で恋愛小説家が言った「サイテーの男を想像する」をどう解釈しますか?また1分間考えてみてください。
私の解釈
何回観ても全くわかりませんでした。お手上げでした。
吹き替え版(原文のまま)
受付嬢:女の描き方だけどなぜそんなにうまいんですか?
恋愛小説家:男を土台にして理性と責任感を取り除けばいいんだ
→それを聞いた受付嬢は戸惑いの表情を浮かべる
シーン1と同じく吹き替え版を観て「サイテーの男」の意味するところが初めてわかりました。
「男を土台にして理性と責任感を取り除く」→「サイテーの男」に変換するのは間違いでないかもしれませんが、でも逆に「サイテーの男」→「男を土台にして理性と責任感を取り除く」を想像するのは難しいですよね。
こういうことは字数など字幕版ゆえの制約から仕方のないものなんでしょうか?それとも…
皆さんは字幕版を観て「サイテーの男」の意味するところがわかりましたか?
映画「恋愛小説家」における字幕と吹き替えの違い
恋愛小説家には3つのハイライトシーンがあります。
恋愛小説家がウェイトレスに誉め言葉を言う2つのシーン(旅先のレストラン、ラストシーン)と上に書いたシーンAです。
具体的な内容は書きませんが、そうしたハイライトシーンでさえも字幕版と吹き替え版を比べると圧倒的に吹き替え版の方が情報量が多く、原作の英語版に近いと思います。
もちろん字幕版でも大きなストーリーの流れはわかりますが、恋愛映画やヒューマン映画のように人間同士の会話がメインの映画では、会話の内容を正確に伝えるための十分な情報量かどうかが決定的に重要な要素だと思います。
もう一つ気づいたことは、字幕版と吹き替え版では登場人物のイメージがやや異なる場合があることです。
例えば、主人公の恋愛小説家が毒舌で潔癖症なのは脅迫神経症という病気のせいで、それがこの映画の重要な伏線になっています。ラストシーンでもそれを想起させる会話が吹き替え版では出てきますが、字幕版では出てきません。
もう一つ例をあげると、恋愛小説家のマンションの隣部屋に住んでいる画家が大けがをしたため、画家の友人兼画商の黒人が恋愛小説家にものを頼むシーンが何回かあります(犬を預かってくれ、車を運転してくれなど)。
字幕版では半ば脅迫的に頼む会話の場面が多いためその黒人を暴力的なイメージで捉えていましたが、吹き替え版を観ると、結構弱気でナイーブな人物であることがわかります。
こうしたこともやはり字幕版には字数制限などがあるので、やむを得ないことなんでしょうか?でもやはりしっくり来ません。
洋画を見るなら字幕と吹き替え、どっちがおすすめ?
英語が堪能な方は邪魔な字幕なしで英語版を観るのが一番いいんでしょうが、我々一般人には、これまで見てきたような理由から「吹き替え版」をおすすめします。
「恋愛小説家が最初に好きになったのは字幕版だろう!」と言われれば返答のしようもありませんが(笑)
ただ全部が全部吹き替え版がいいかとなるとそうではないかもしれません。
「恋愛小説家」のような会話が多い映画はやはり情報量の違いから吹き替え版がいいと思いますが、アクション映画など相対的に会話が少ない映画は俳優の迫力ある声を聞くのを優先し、字幕版を選んでもいいかもしれません。
いずれにしても、一度お好きな映画の字幕版と吹き替え版の両方を観てその違いを確認してみてはいかがでしょうか?
DVDでは吹き替えの日本語音声を聞きながら日本語字幕もオンにできるので、喋っていることと字幕の違いを同時に体感できますよ。
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